なんてことしてんの!辞めなさい!
なんでそうなるの?お願いだから教えて?
自分に無い感覚の言動に、我が子と言えどもビックリすることがありますよね。
子どもが成長するにつれ、それぞれが個性豊かになっていっているのを感じる今日このごろです。
けれども、そんな時の親の咄嗟の言葉は子どもの可能性を狭めてしまう可能性もあります。
案外、その子にとっては重要で個性を育てるために大切な価値観かもしれません。
あなたにはあなたの、その子にはその子の価値観があるのです。
子どもの個性や可能性を見つける為に、頭ごなしに指摘する前にひと息ついて欲しいと思っています。
目次
理解出来ない時こそ我が子のと違いを知れるチャンス
私が娘に対して、何してんの!?みっともない!と言おうとした出来事がありました。
が、結果的には言わなかったのですが言わなくて良かったと自分に納得できたお話をさせてもらいます。
天気が良かったので子ども達とシートを持って公園でお昼を食べることにしました。
公園にはすでに多くの人がきており、私達の近くにも何組かの家族がいました。
食後に、飲むゼリーを二人とも嬉しそうに飲んでいました。
が、娘が少し離れた所に出掛けていきました。
少しして戻ってきたので、何してたの?と聞くと
「子どもがいたからゼリー自慢しにいった。そしたらポテチ食べてて自慢された」との事。
「いや、何自慢されに行っとんねん」と突っ込む私。
向こうの子はただポテチを食べていただけ。
見せびらかしたい下心があったから、ポテチを食べてるだけの子に“自慢された”と受け取った訳ですよね。
私は自慢したり構ってちゃんタイプじゃないので、この時の娘の気持ちが全く分かりません。
やらしいこの癖が治らなければ嫌な奴になってしまうのでは無いかと一瞬にして頭を抱えました。
娘の日頃の言動からどんな価値観を持つ人なのか《エニアグラム心理学で人間の自尊心が分かる》を参考にし性格のタイプがおおかた予測がついています。
第一子として産まれ、家や親戚でカワイイカワイイと育ち、夏生まれで成長が早い方だったので保育園でもスゴイスゴイと言われて育ちました。
周囲から評価を浴びて育ったので、人と自分を比べるのが当たり前の世界の中で生きているんだろうなと予測できます。
良い意味でも悪い意味でも常に周囲を意識して過ごしている。
ゼリー自慢に行ったのにポテチで自慢され返されたと感じるほど彼女は競争とか比較の世界に住んでいるという事。
どーせ私の事なんて誰も気にしてない、と意識している私にはない世界観です。
人に自慢しに行くなんて、、、僕には考えられません。
私は少し気持ち分かるなぁ。見て見て私いいでしょ?ってなるの。
SNSを見ては投稿者は自慢のつもりが無い場合でも、見てる方が勝手に自分と比較をしてモンモンとするのと同じです。
この感覚私にはありません。
最初から誰とも競争していないし、そもそも私より周囲の方が凄いのが当たり前だと思っているからです。
そのくらい、私には心底共感できない、わざわざ自慢しにいく事にも理由があるのです。
それを、私の感覚で“辞めさせなければ”と叱ったり注意したりしても娘には意味が分かりません。
それどころか自然と湧き出てくる“優れていたい”という気持ちが間違っているという事になります。
“優れていたい”という気持ちを持つこと自体は間違えではありませんよね、人して自然な事です。
娘との違いが分かれば頭ごなしに辞めさせようとせず、自然と伝え方が変わってくるはずです。
このように「えっ、なにやってんの?」と我が子に感じる出来事は、その子とあなたの根本的な世界観が違うのです。
辞めさせようとしない方が良い
娘の見せびらかしに行っている姿。
これを続けてしまっては心配だから辞めて欲しいと思いました。
私にとってこの“見せびらかし事件”は頭ごなしに注意したくなる程の案件です。
けれど、それでは子どもの気持ちをフル無視した状況になってしまいます。
(相手を傷付ける行為は話は別ですが)
先程も言いましたが“優れていたい”という気持ちを持つことは悪いことではありません。
むしろその気持ちがあるからこそ目指して熱く頑張れる事も沢山ありますよね。
娘の“優れたい”気持ちまで否定してしまうと沢山の可能性を潰すことにも繋がってしまいます。
「自慢したい」のが彼女の本音だから「自慢してはいけない」事を押し付けてもその本質は理解できないのです。
「自慢しない方がいいんだ」と彼女が自分で気付くしかありません。
もしかしたらあの時相手の子に
「何さらしてくれとんじゃ!」と胸ぐら掴まれたり
「自慢とかダサいから辞めたほうが良いよ」
と痛い目みたら辞めるかもしれませんね。
親はどう対応したら良いのか
私は娘に「それされたら嫌な気持ちになる人もおるんやから気を付けや」とだけ伝えました。
娘は「はーい」と返事は良かったですが果たして今後どうするのか見ものです。
そして今回の自慢の件に限らず他の事でもそうです。
「ルールは守らなければならない」
「遅刻はしてはならない」
「挨拶はきちんとしなければならない」
「勉強は出来るようになった方がいい」
親が子どもに出来てほしい最低限の事って沢山。
最低限のことが出来ない大人もいます。
我が子にはそうなって欲しく無いから、口うるさく言ってしまうんですよね。
果たして、親が言えばやるようになるのでしょうか?
いえ、その場ではやったとしても結局自分が必要性を感じなければやりません。
例えば
イヤイヤ鉛筆を削って学校に行く子はお友達に鉛筆を貸すのが嫌になります。
だれだって自分が苦労したのに簡単には貸したくないはずです。
けれども困っている人を助けるのが“正解”です。
鉛筆を貸すのが嫌な自分って悪い、と感じたり、簡単に借りるなんてズルい、となります。
反対に、自分から削る子は削る事が苦痛じゃないので人にも快く貸すことができます。
また、挨拶の必要性を感じていない子に「挨拶をしなさい」と教育します。
そうすると挨拶が出来ない人を許せません。
けれど人の事なので放っておけばいいのですが、なんせ自分が努力しているから努力を否定されているように感じます。
やはり大切なのは、挨拶が重要だと自分で気付く事。
では、親はどうすればいいのかという所です。
なぜやった方がいいのか(なぜやらない方がいいのか)を“情報としてサラッと伝える”ことです。
必要になった時に自分で考えれる判断材料を渡しておきます。
挨拶した方が人に覚えてもらえるし、仲良くなるきっかけにもなるし、挨拶できた方がお行儀が良いんだよ、など伝えます。
ここでポイントですが、もうね、ライトにサラッと伝える事。
指導になってしまうと気分はサゲサゲ、大切な事なのに内容が受け入れられない。
へぇーそうなんだー!という感想になる程度で丁度いいくらいです。
これがいざという時に「挨拶してみよう」と前向きな行動をしてみる判断材料になります。
親が正そうと口うるさく言うと子どもの本心から行動が離れていきます。
必要性を感じてないならそれが本心ですが、普通に生きていけばそのうち挨拶が大切だと分かります。
それよりも本音から離れた行動をする方が後に大きな問題に繋がると思います。
大人になった時に挨拶には“相手を認めていますよ”という効果もあるんだ
という事に自分から気付ける、これが行動の本質を理解すると言うことです。
(私もそれに気付いたのは30歳超えてからですが)
まとめ
このように、子どもにも立派な理由があるんです。
その子の価値観や気持を知ろうとすること、見ようとすること。
それが子どもの個性や可能性を広げていくための、あなた自身の態度に繋がります。
これから沢山の道を自分で選んで生きていかなければなりません。
頭ごなしな伝え方以外の方法も、意識的に身に付けておくと自分も子どもも視野が広がるはずです。
失敗しながら
恥をかきながら
落胆しながら
怯えながら
でも、いざという時に前を向ける人になれれば、人生が楽しく過ごせるのかなと感じています。
ありがとうございました。