✼どこかに自分を落としてきたのだけど、誰か私の事知らない?

タイトル通りです。

誰か私のこと知らない?どこかに私を落してきてしまったんです。

自己紹介をさせてもらいます。

現在33歳。看護師パートしながら二児の母して、結婚して8年くらい経ちました。

今年の6月から子猫を飼い始めました、可愛いです。

私は自己紹介が凄く苦手です。

なぜなら、自己紹介をすることが無いから。

現状を淡々と伝える面白くもない自己紹介しか出来ず、楽しくないのです。

私は、自分の事が分かりませんでした。

(今も自分が無いですが)

自分が何が好きで、何が嫌いで、何が向いてて、何が向いてないか

考えた事も感じた事もなく

不安も無く

ただ、時が過ぎる事だけを待っていれば大丈夫だろうと生きてきました。

え?病みブログなの?

いいえ、違います。

ただの、何も感じずに生きてきた人のブログです。

自信がなくて心配性の人からは親しみやすい性格

私は、自分に感情が出てくるのが凄く苦手です。

怖い、楽しい、ビックリ、嬉しい、不安、怒った!

自分の感情そのものが刺激的過ぎて私にはキャパオーバーです。

なので、抑えて抑えて生活しています。

私が安定した空気を出しているからか

落ち着いている

マイペース

一緒にいて落ち着く

この辺の事を言われることが多いです。

自分の心が乱れないようにしていると、相手にも安定が移る事もあるようでした。

自分ではそんな人柄を目指している訳ではなく、ただ何も感じたく無いだけ。

自分の感情を受け入れて心が保てなくなるのが怖いだけなんです。

心が保てないと沢山のものを失うと思っているので

感情的になって失敗した人を見かけると「ほらね」って感じます。

それに対して、私はどうでしょう。

感情的にならないから、もちろん失敗しない順風満帆な人生。

とは、大違いです。

自分の心が乱れないように自分を抑えて過ごした結果、自分が何者か分からなくなる大失敗。

荒波を受け流せるほど自分を保つのが上手い反面、保ち過ぎて自分で波を起こす事が出来ない

自分は何が好きで何が嫌で

何は楽しくて何が楽しくないのか

社会に出てからは自分の意見を求められたり、自分の考えで動いたりする必要があります。

けれど私は自分の事が分からないのです。

もうね、大失敗。

悩みに悩んだ末、感情をコントロールしようとしすぎている事に気付きました。

(正確には、感情コントロールをする事にコントロールされている)

ただし、良いこともありました。

自信がなくて心配性の人は、私のこの穏やかで害の無い雰囲気を良いと言ってくれる人が沢山いました。

子育ての穏やかさ、人間関係の冷静さ、人目を気にせず過せる、この辺りの事を「良いね」って。

不安や心配事で、よそよそしくオロオロしてしまうタイプの人からしたら、穏やかに広い心で受け止めれる人に見えるようです。

人目を気にした不安

私は日常において不安が少ない方だと思います。

生き死にや物損金銭トラブルは気にしますが

それ以外は基本的に「まぁなるようになるか」に持っていきます。

多くの人は“自分の不安と人目を気にした不安”があるように思います。

例えば「失敗したら〜って思われるかもしれない

自分の能力への不安から人目を気にした不安も出現。

不安の連鎖。

または「ここで引き受けなければ何か思われるかもしれない」と、やりたくないのに断れない。

それが、ストレスや不安になる。

断ったら断ったで不安になる。

私の強みは、人目を気にした不安や心配事がほぼ無い所です。

例えば人目を気にしないので「まぁいいか」で終わります。

(迷惑かけた時はさすがに申し訳無く思いますが)

失敗した事の評価はそんなに気になりません。

また、そんなに人目を気にせずに断れます。

殆どの人が人目を気にしているのに私は“人目を気にする”事を知りませんでした。

では、何を気にしているのか。

それは、自分の能力への不安と自分の目を気にしていました。

そこに、人目を気にしないコツがあるのだと思います。

自分に対する不安は誰にでもあるもの。

けれど、人の目を気にすれば無限に自分の安心や成功はやってきません。

安心は自分が作り出すもの。

自分の目を気にすれば答えは自分が決めるので、必然的に悩みが少なくなるのです。

自分の目を気にするように

私は人目より自分の目を気にします。

〜って思われたい

〜って思われるかも

これらはあまり重要ではなく

自分や相手の感情が波を立てずに穏やかなまま時を過ごせるかどうかが私の判断基準。

相手に不満を感じさせない為には私が穏やかな気持ちでいれば良いという感覚で過ごしました。

(もちろん、それだけでは上手くいきませんでしたが)

自分の穏やかさを保つ為に、自分の不安や心配事をコントロールする必要があったのです。

自分の不安な感情に目を向けて自分の安定の為に不安を無くすように持っていく。

具体的な例を出すと

電車に乗りたくて走ったのに目の前でドアが閉まって間に合わなかった。

あなたならどこに恥ずかしさを感じますか?

・残されたホームの人達へ何となく気まずさを感じる

・電車に乗っていた人達の目が気になる

人目を気にする人はこの辺りを気にするのかなと思います。

私は“目の前でドアが閉まってしまう流れに持っていってしまった自分”に恥ずかしさを感じます。

恥ずかしいシーンに持っていってしまった自分を悔いる事に忙しいので人目は気になりません。

そうすることで、人目も気にならないし恥の感情を無くすように持っていっていたのです。

(癖なので自覚はなく、自分と向き合ってから気付きました)

怒りを感じた時もそう。

怒りの感情を感じなくて済むように考えを持っていき、怒りの感情を無くします。

人目はあくまで判断材料のひとつ。

人目をメインで判断してしまうと心配事や不安が尽きません

人目から開放されれば、心配事や不安は一気に減り、人目を良い原動力にする事ができる。

“人目より自分の中の安定が大切だと割り切る”

人目はあなたを助けてくれません、あなたを助けてくれるのはあなた自身です。

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まとめ

さて、タイトルの「どこかに自分を落としてきたのだけれど、誰か私の事知らない?」ですが

そうなんです、私が落として来てしまったのは感情です。

感情を抑え過ぎて自分が迷子になりました。

けれども、感情に頼りすぎてしまう事も自分が迷子になってしまいます。

私は不安を抑えすぎてしまいましたが、多くの人が不安を抱えすぎている事に気付きました。

不安に囚われている自分を自分だと諦めてしまう。

私が感情を抑えるのが当たり前過ぎて気付かなかったのと同じように、不安が当たり前過ぎて囚われている事に気付かないのです。

不安があるから頑張れるのですが、囚われることはまた違います。

不安に動かされるのではなく不安を動かす。

そこに気付くと、自分の世界観がちっぽけなものだと気づきました。

とくに、子育てや日常生活における不安な感情は殆どが自分の思い込みです。

本当に失敗するときって、思いもよらない時の方が多くないですか?

あなたの価値観は大切なものですが一歩引いて、見て行動してみる

そうする事で“自分の意思を実現させるのは自分”しか出来ないのだと身に沁みます。

例えささいな事でも、そこに人生の充実度が待っています。

自分の長所短所を含めて考え、今よりも丁寧に毎日を過ごせる自分になる為、皆さんと日常の悩みの共有の場所になるブログを作りたいと思いました。

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