人の心に働きかけたい事ってあると思います。
考えを人に伝えたい。
子どもの悩みにアドバイスをしたい。
自分を発信したい。
私も出会った人達から聞いた忘れられない言葉がいくつかあります。
何気ない会話。
節目の挨拶。
言い訳している時。
怒っている時。
忘れられない程、心が動かされたという事です。
それらの言葉は、その人が人生をかけて得た言葉。
自分の人生の熱量で生み出した言葉で、人の心が動くのだという事が分かりました。
良いも悪いもです。
かけた情熱の量が多い程人の心に働きかけれるものです。
あなたは記憶に残る人の言葉はありますか?
「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」
これは私がめちゃくちゃ衝撃がきた、キリストの教えです。
人から聞いた言葉というか、もはや現代にも受け継がれている聖書の言葉。
初めて聞いた瞬間に、自分の常識を覆されたものに触れた瞬間でした。
それはもう、ドッカーンと。
今回はこのような、心に響く言葉はどんなもだったのかについて経験を元に記事にします。
目次
心に響かせるには?パート1
心に響いた瞬間を回想します。
当時20代前半。
まだまだ物事をガチガチに固まった考え方で生きていました。
「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」という前に「右の頬とて殴ってはいけない」
という事しか認識がなく(勿論それが今でも正しいと思っていますが)
当時の感覚でもし右の頬が殴られたら
「おかしい!この人こんな事するなんて普通じゃない!」と批判するしか知りませんでした。
けれど、イエスは「反対の頬も差し出したれ」と言うのです。
え、なにそれ?
そんな反応の仕方もあるなんて!!
全てを悟った肝っ玉のどっしりした対応、さすが後世に継がれる神様の教えだ、と感心しました。
自分のガチガチの価値観でしんどくなってきていた時でした。
これが、衝撃的な言葉に出会った瞬間です。
そして、こういう方法もあるんだと勉強にもなった瞬間です。
(しかも“聖☆おにいさん”という漫画で知った)
自分の視点と違ってインパクトがあり、自分の未来が明るくなるかもしれない、自分の為になるかもしれない言葉。
そういう言葉が人の心に響くという事です。
例え自分の視点と違うアドバイスがあっても、自分の為にならないのなら響きません。
むしろそれ以上聞きたく無くなる事も。
というのも、もう一つ話をさせてもらいます。
子どもの頃に親戚でボーリングにいったときの事。
「私の投げ方が出来てない」と熱血母が指摘してきました。
確かに投げ方は悪かったのでしょうが、投げ方云々の前にボーリングそのものを楽しみたかったんです。
母的には私の為にアドバイスをしてくれたのでしょう。
けれど、私的には上手い下手はどーでもよかったのに指摘されて面白くなかった。
心に響くアドバイスどころかネガティブな印象しか残ってないのです。
響かせたい時は相手にもタイミングが必要です。
そう、ちょうど私が自分の価値観につまづいていた時のように。
心に響かせるには?パート2
「右の頬殴られたら左の頬を差し出せ」
当時の解釈は、殴られたぐらいでグダグダ言わんと反対側も殴らせるくらい余裕を見せろ
的な意味合いで捉えていました。
この記事をかく何ヶ月か前にこの言葉の本当の解釈をしりました。
(興味ない方は解説を飛ばしてください)
右の頬を殴られるなら相手は左手の拳で殴ることになりますよね。
これ本当は、右手の拳の甲で殴る事を意味してるらしく、殴られる方は奴隷。
右頬を殴られた後に左の頬も差し出したら、主人がそのまま奴隷の左頬を殴るには、右手の手の平を使わないといけなくなります。
手の平は、清潔な物を触るのに使う神聖な部分なのに奴隷はゴミ同様。
奴隷に右の手の平を使うなんて主人からしたら大失敗の屈辱です。
イエスの教えはそれを狙っていたのです。
決定的な身分の差でもただではやられるもんか、と言うことですよね。(諸説ありですが)
いや、まさかのダブルパンチ。
当時の解釈は間違っていたけど、ほんまの意味もめちゃくちゃかっこいい!
私には無理、タダでやられてます。
私はキリスト教ではないですが、この言葉に2回も衝撃を貰いました。
こんな人いるかなって感じ(笑)
タイミング的には、私の中で自分にはこの様な策略的な頭の使い方が出来ずしんどい思いをしていた時でした。
こんなふうに思考を使うんだ、と自分の未来へのアドバイスになりました。
そして「右の頬殴られたら左の頬を差し出せ」という言葉そのもの簡単に出来た言葉では無いですよね。
これに限らず“教え”というのは、葛藤や悩みから心を救う為に洗練された内容です。
また、私が社会に出て2年目の時の話。
仕事バリバリの自分にも人にも厳しい先輩がいました、職場内のリーダー的存在です。
その先輩が退職される時の挨拶。
「今まではこういう性格ではなかったけど、自分の世界を変えてみようと思って前に出てみました。ついてきてくれてありがとう」
めちゃくちゃかっこ良くないですか?
(ちなみに当時の先輩の年齢が30歳くらいで今の私より若い^^;)
今までどういう性格だったか真意は分かりませんが、職場は間違いなく先輩を先頭に回っていました。
それだけ自分をかけて熱を注いで仕事に臨んでいたから、人に心を響かせる言葉になりました。
中身が詰まった本物の言葉に人は心を掴まれる。
つまり、言葉を発する本人がどれだけ奮えた心を知っているかという事になりますよね。
あなたが言葉を発信したい時は、あなた
熱量で人を動かす
当たり前の事ですが、どこに情熱を注いできたのかは人によって違います。
仕事はバリバリ出来る人が、家事はまるでできなかったり。
仕事はまるでやる気ない人が、趣味では光輝いてたり。
仕事を真剣にしてる人からしたら、仕事に興味の無い態度の人が腹が立つのは当然。
仕事はバリバリできても家事をやる気が無かったら、家事をしている家族が腹が立つもの当然です。
その熱量こそが相手を動かします。
あなたが怒られた時の事を考えてみたらイメージしやすいかもしれません。
相手が正しくても、もしくは理不尽に感じた事だとしてもです。
それだけその事にエネルギーを注いでいる訳で、相手の熱量の分あなたも大きく動いたはずです。
例えそれがネガティブな感情だったとしても。
プラスの方に人を動かしたい場合も同じだと言えます。
つまり、あなたが楽しそうに好きなことの話をしているとその話には洗練され深みが出ます。
楽しそうだな〜
美味しそうだな〜
そう思わせれるのは、あなたが本気で良いと思って伝えるから人の心にも響くのです。
まとめ
人生で出会う人と同じ位、出会う言葉も人生に大きな影響があると思います。
人からでも本からでも、感じに出向く事で今のあなたの心に響く素敵な言葉に沢山出会えるはずです。
逆にタイミングを合わせれば、相手に響く言葉やアドバイスになるということです。
しかも、私のように思いもよらない知識としての出会う事になるのも面白いものです。
自分のタイミングではなく、時には相手のタイミングにも合わせる必要があるのだと思いだしてください。