あなたは、こうでなければ駄目という自分の概念があるのではないでしょうか。
私はありました。
こうでなければ駄目だという自分ルールの正義。
自分の正義と違う振る舞いや態度をした人の事を批判的な気持ちになることも。
そこは合わないけどその人自身は悪い人じゃないんだよな〜、などと感じていました。
(何様?ですか)
そして歳を重ねるにつれ(当時30歳くらい)て、少しずつ考えが変わってきました。
悪い人じゃないならその人自身を受け入れられないのは勿体ないと思うように。
そして、人の受け入れられない部分は自分自身が自分に許していない部分である事にも気付きました。
どうして受け入れられないのか
受け入れられない事の何が勿体ないのか
このように、どうしても人のこういう所が受け入れられない、と感じる自分と向き合う事の記事にしたいと思います。
目次
自分の正義を人にも求めてしまう
自分の正義は持っていないつもりの人が多いと思います。
私も正義なんてどうでもいいと思っていました。
けれど実は、自覚が無いだけで人はそれぞれ正義を持ち合わせていたことに気付きました。
例えば、もしあなたが
“人から嫌がられてはいけない”と
人に嫌がられないように気を遣いながら生活しているとします。
あなたにとっては、人に嫌がられないように振る舞う事が正義です。
- ニコニコ愛想良くしたり
- 相手の考えを否定しないように答えたり
- ルールをきちんと守ったり
- 浮かないように周囲に合わせたり
もし、これらを気にしていない人に遭遇したらどうでしょう?
“人から嫌がられる事はやってはいけない”はずなのに。
合わないわぁ〜、と警戒するはずです。
あなたが上記の項目を大切にしているのはあなたの価値観からくる行動です。
そして無意識に人にもその行動を求めます。
だから自分の価値観と違う人を警戒したり時には怒りを感じるのです。
けれど“人から嫌がられてはいけない”なんて誰が決めたのでしょうか?
それは、あなたです。
人に嫌がれるかどうかはその人の勝手。
人に意地悪をしたり、悪質な迷惑をかけたり
あなたが被害を受けたのなら相手を受け入れられなくても良いと思います。
けれど、自分の価値観でその人自身を受け入れられない程の嫌悪感を抱くのは勿体ない事もあります。
“嫌われてもいいから意思を通せる”根性って時と場合には必要な事もありますよね。
嫌われる事を気にしているあなたには無い意志の強さ、そういうことを学ぶ事が出来るからです。
人から嫌われ無いように動き過ぎている事が、自分で自分の価値を下げてしまう事に気付かせてくれるきっかけになるでしょう。
このように、自分の正義(価値観)を無意識に人にも求める事で人の事が受け入れられなくなります。
人に対して受け入れられないと感じている所を振り返る
では実際にあなたが受け入れられない人はどんな人ですか?
そこを考える事で、自分がどんなこだわり(価値観)を持っているのか分かります。
私の例をひとつあげてみます。
こういうタイプの人が苦手なんだよな〜というぼわぁっとしたものはありした。
そこから具体的にこういうタイプのどこが苦手なのかを出しました。
私が受け入れられなかったのは“簡単に主観的な主張をする”人です。
“簡単に”というのも完全に私の主観ですが、主観的な表現が多い人と関わりたくないと感じます。
内容は違うけど先程の“人に嫌がられてはいけない”例と同じです。
周囲を不快にしないようめちゃくちゃ気を付けているのは「人に嫌がられたくない」から。
周囲を考えない好き勝手な態度を「何も考えてない」と腹が立ちます。
あなたは嫌われるのが絶対嫌なのに、相手はあなたに嫌われてもいいという態度。
嫌がられる事をしてはいけない人からしたら、存在意義が無くなる程のプライドが傷付く訳です。
私が主観的な表現が受け入れられないのは、人と接する時は事を荒げないようにソフトな対応を心掛けているから。
事を荒げない事を大切にしているのは「人と穏やかな空間を過ごしたいから」です。
その為、腹が立っても怒りを抑えて一旦考えてからソフトに対応する事をめちゃくちゃ努力しています。
それなのに感じた事をすぐに口に出す人は「穏やかじゃない」ので苦手に感じます。
私にとって穏やかさは存在意義でもありました。
それだけ重要な為、相手にも無意識に穏やかであるべきだと私の正義を求めていたのです。
優しくて優柔不断な人に、白黒はっきりさせたい人がイライラするのはこういうすれ違いから起こります。
意見を明確にして逞しくいる事が正義だと努力している人からしたら、優しくて相手の気持を汲みたい人の正義は間違っていますよね。
つまり“受け入れられない”と感じる理由は、自分の正義(価値観)が否定されていると感じるからです。
自分の正しい世界を脅かしてくる相手を合わないって感じるのね。
あなたがどうしても苦手なのは人のどんな行動ですか?
どうして受け入れられないのですか?
じっくり考える事で自分が手放すべきこだわり過ぎている価値観が分かるようになります。
人に求めるのではなく自分で認める
“人に求めるのではなく自分で認める”というのはどういう感覚の事か説明します。
私は穏やかさをめちゃくちゃ大切にしています。
(当たり前すぎて自覚ありませんでしたが)
人が簡単に気持を主張する場に理解が出来ず不快を感じ、受け入れられませんでした。
なぜなら私は怒りを感じても抑えて一旦考えてから主張をするのが正しいと思って努力をしていたからです。
ここです。
“怒りを感じても抑えて一旦考えてから主張をする”
私が自分に認めていないのは、私が気持ちのままに主張をする事でした。
(怒った時に怒った気持ちは抑えなくて良い、嬉しい時はそのまま喜んで良い)
だから感じたままをすぐ主張する人を受け入れられない。
そしてこれは私の価値観であり“全ての人が穏やかさを一番大切だと思っている訳ではない”
(皆が穏やかな訳ではない事を知ったのは私が30過ぎてから。汗)
自分の正義(価値観)に気付いた事で少しずつ調整が出来るようになってきました。
例で出している「人に嫌がられる事をしてはいけない」人の場合。
全ての人から好感を持たれる行動をするのは、あなたに限らず全ての人が不可能です。
あなたが考えて出した決断や信じた判断、あなたを支持していない人がいたとしてもあなたが終る訳ではありません。
人に嫌われても気にならない私から言わせれば、
自分を理解してくれない人に嫌われた所で何かある?
あなたを見てくれる人をしっかり見たら生きていけるくない?という感覚です。(参考までに)
このように「こうあるべきだ」と人にも自分の価値観を求めるのは、その世界こそが正しいと思い込んでいたから。
人に自分の世界観を求め無いようになれば自分自身に縛られずに物事に取り組めます。
視野が広くなるのでより自分にとって有意義に過ごせます。
そうなると、いい結果に繋がりますし過程を楽しむ視野を持つこともできるのは想像できますよね。
でも、自分は自分、人は人っていうように受け止めるにはどうすればいいのですか?
はい、では考えていきましょう。
- 自分は自分→自分の心や価値観は自分だけの大切なものであって人が認めるものではない。
- 人は人→その人の心や価値観はその人のものであって自分が操作できるものではない。
相手の世界で自分がメインになることは無い。
相手は相手の世界で相手がメインに回るので、自分が思ってるように相手の思考が回る訳でない。
自分の世界観を自覚できれば、人は人だと理解し拘るべき所と手放せる所の判断がついて自分の世界観に固執しなくて済むようになります。
このように、無意識のうちに人に自分の世界観を認めてもらうことを求めていて、それに合った反応が無い人の事を合わないと感じています。
しかし、自分の価値観を受け入れられるのは自分自身の心だけ。
人があなたを受け入れてあなたを満たしてくれるものでは無いという事。
まとめ
私が自分の価値観に囚われた状態で世の中を渡り歩いている事に気付き、私の世界が全てではないと気付いたのは30歳を超えてから。
いま自分が見て感じているものはあくまでも自分の価値観を通して見た世界。
それが具体的に何なのかを知ろうとしたことはありませんでした。
また、自分の価値観に関しては自分が誰よりも優れているだけだと知りました。
他の人が何も考えていない訳ではなく考えている所が違う、というのも気付きました。
自分の許せない所が多いと人の許せない所も多いので受け入れられる人が少なく孤独を感じます。
合わないと感じる人も捉え方が変われば付き合い方が変わって自分の枠も広がる可能性もあります。
私もまだまだ自分の感情を受け入れる感覚を実感できて無い事も多いのが事実。
けれど、それが出来たらもっと心から過ごせて今を豊かに感じられるのだろうなと少しずつ実感できています。