「人生ってなに?」
「幸せってなに?」
このような事を考えた事ありますか?
私は中学生の頃からそれぞれの年齢の時にこういうのを議題にして友達と語り合ったりしていました。
結論としては、人それぞれだし答えはありません、哲学ですよね。
それでも、この歳になってきたら自分の人生観くらいは少しずつ答えを出していきたいなと思うこの頃。
今回は、私が今感じている「人生とはなんぞや」について
人としての答え、個人としての答え
の記事にするので興味深く読んで頂けたらと思います。
目次
人が生まれて、そして死ぬ意味
まず根本的なところ、心臓が動き始めて止まるまでがその人の人生です。
なぜわざわざ生きたり死んだりする事が必要なのだろうと考えながら生きてきました。
私なりの答え“永遠があったら頑張れないから”です。
提出期限があったり、命の危機があるから頑張り、頑張るから結果も残るわけです。
(良いも悪いも、歴史に結果を残した人もいる)
嫌われたくないから頑張る訳で
永遠に好かれると自覚してしまったら怠慢な態度になって、結局は嫌がられます。
では、なんの為に頑張っていい結果を残そうとする人がいて、逆に何のために不幸の中を死んでいく人がいるのか。
えぇ、理由なんてあるの?
理由なんて無いのかもしれません。
今ここに地球があって私達が生きていて、みんな一人ひとりが一生懸命に生きている事実しか無いのかもしれません。
けれども私は一生懸命に頑張る事が凄く苦手なので一生懸命生きている自分になりたく無いと思っていました。
頑張るって凄く大変ですよね、わかる気がします。
それを、今ありのままの自分の現状を認めて頑張っている人を見ると凄いなー、と心から尊敬します。
でも実は私も一生懸命頑張っていました。
一生懸命頑頑張っているから毎日の家族の事と毎日の家事や仕事、そして自分の事で悩むのです。
どうして気付かなかったのかというと、一生懸命に頑張る事が嫌過ぎて、頑張っている自分に目を伏せていたからでした。
(頑張っている、と自分で思う事は悪い事だと感じるから)
逆に、頑張らなければいけないと、自分の心が置いてきぼりで頑張ることを頑張りすぎてしまう人も。
頑張らないようにする人のお陰で穏やかさが産まれ、頑張り過ぎる人のお陰で成し遂げられる事があります。
皆が同じだと偏るので何事もバランスが大切。
人の命も、人々の頑張りが途絶えないよう
人それぞれの能力を取り入れる為に世代の交代が必要だから命に期限があるのです。
このようにバランスを保つ為に、心臓が止まって人生に終わりがくるのだという答えにたどり着きました。
人として生まれたからには大切なことはもう決まっている
私がこの哲学のような事を考えている時
表現は出来ないけどなんとなくこうかなーと自分の中で答えが出てきていました。
そして、ネットや本を読んでいる時に私の考えがビシッと言葉で表現されているものがありました。
- 思いやりを持つこと
- 統合すること
まず、思いやりを持つ事について。
時代や国を問わず、残されている書物は「人は思いやりが一番大事」という事に辿り着くそうです。
つまり、思考や価値観が違うのに時代や国を越えて「思いやり」が大切だという結果が残っている。
先人のお陰でもう答えが分かっていた訳です。
これも先程のバランスと同じ。
一人で何役もこなせないので足りないところを補いながら生きていかなければ限界があります。
人は一人では生きていけないものね。
人の力を借りて初めて一人前になる
自分は一人では無理なんだと認める事
そして、相手も一人では無理なんだと認める事から思いやりに繋がります。
そして次は、統合することについて。
統合とは心理学やスピリチュアルの世界で使われる事が多く日常生活で口にする事はありません。
どういうことかというと、今の自分が持っていないものを受入れるということ。
価値観でも何でも。
人は全て、プラスとマイナスです。
お金持ちと貧乏。
字が汚い人と字がキレイな人。
短気な人と穏やかな人。
慎重過ぎる人とすぐに飛び込める人。
自分にないことを少しでも受け入れることで、より上の自分になる事を統合と言います。
統合するためには今の自分そのものを理解していないと統合先へはすすめません。
努力の方向が分からないからです。
自分が得意なこと、自分の足りないところ。
実現可能な統合先(ゴール)に向かってその過程を楽しめていたら統合に向かっているという事になります。
今説明した2つの項目は、既に先人達が出してくれている答えの一部に過ぎません。
私が知らないだけでまだ答えがあるかもしれません。
昔は、その日を生きる事で精一杯で今ほど多様な価値観が認められていない時代、今よりも人生の答えが決まっていたと思います。
今よりも選択肢が少なかったのですよね。
今は、あらゆる価値観をみとめる時代。
人の承認欲求を満たす為の正解がなくなってきている事に気付かなければいけません。
こんな時代だからこそ、自分の心が見えない人は正解を探して彷徨ってしまうのではないでしょうか。
正解は自分の心が決める事です。
けれども正解が無いまま終わるのが人生なのかもしれません。
正直なところ、私も彷徨っています。
見えないものを知ろうとする事で見えたこと
「見えないものを知ろうとする」これはとても大切な事だと思うと、今までの記事でも書いてきました。
見えない自分、人の言動の裏側。
見えないから気にしても仕方がないし答えが無いかもしれませんが、私はこれまでその見えない事ばかりを気にしていました。
そこで気が付いた事は、見えないものほど実は繋がっている事です。
態度は違えど心の不安は同じ。
どうして不安になるのかと元を辿ると、人から受け入れられないのではないかという不安。
一人では不完全だから思いやりを持とうとしたり
命にリミットを設けて一人に任せないような生命の仕組みになっていたり。
また、人々が統合しようと自然と頑張れるのは人から受け入れられたいからです。
そう考えていくと、人の意識は一人にならないようにならないように向かっている事が分かります。
そして、そこが人生の統合点ではないでしょうか。
一人にならない為の工夫をどう楽しめるのか。
家族、友達、恋人、お金、自分、夢、仕事など大切なものは沢山あり、どれかを欠くのは嫌だと思いませんか。
大切なものそれぞれを統合する過程を楽しめる自分になる事。
これが私の出した人としての「人生とは」です。
そうすれば心が満たされて死ねるのではないかなと思っています、今の所は。
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感情が無い生き物
ここからはスピリチュアルな話に変わります。
見えないものが気になる私としては避けては通れないのです。
一体誰が何のために私達人間を頑張らせたり不幸にして一生を終わらせているのか。
どんな結果を欲しがっているのかと思わずにはいられません。
目には見えない“感情”が私達を行動させたり行動させなかったりします。
逆にいうと行動で感情も読み取れますよね。
この事から人間は感情がメインの生き物ということ。
そして、感情がメインではない人間の対の生き物が宇宙にいるのかもしれない。
私は地球がアリの巣キッドのように見えて仕方がありません。
きっと感情が無い宇宙の生命体が、人間の行動から感情を観察しているんだろうな、と。
《もはやアリの巣キッド欲しい》
結局はこの宇宙のもの全てが不完全で、何かを得ることでやっと1になるのかもしれない。
目に見えないもの程繋がっています。
感情が無い生き物が人間から感情を学んで統合するのだとしたら、私達が感情に動かされている意味も繋がります。
見えないものを見ようとし続けた結果、意識が宇宙まで繫がるのもまたロマンチックだと思いませんか?
これが、私個人の「人生とは?」の答えです。
見えないものを見ようとする事を楽めるのが人生の醍醐味です。
まとめ
今この地球が存在して今の現実がある事に意味なんて考えなくても生きていけます。
自分として産まれて死ぬ事だけがゴールかもしれません。
それでも良いし、そうじゃなくてもいい。
白黒はっきりさせない事に慣れる事も、統合点(ゴール)です。
自分に無いものを受け入れようとするのが人としての過程ならば、私は目に見える物を心で感じれるようになる事も人としての過程になります。
もっと肩の力を抜いて、もっと心で前に進んでいきたいものです。
ありがとうございました。